そこにフェルメールがいる
私の代表作『東京ノート』は、美術館のロビーが舞台となっていることが幸いして、国内外の美術館での上演を繰り返してきた。
イタリア・ナポリのカプディモンテ美術館では、中世の王宮の謁見室を思わせるような豪華なフレスコ画の下で上演を行ったし、大阪の国立国際美術館での上演は、その年の文化庁芸術祭の優秀賞を受賞するに至った。
そういった数多くの美術館上演の中でも、二〇一二年七月の東京都美術館での上演は、深く私たちの思い出に残るものとなった。
この年のリニューアルオープンを記念してマウリッツハイス美術館展が開催され、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が初来日した。そして、フェルメールの絵画を巡る会話が変奏曲のように繰り返される『東京ノート』が、関連企画として上演されることとなった。
美術館での公演は、幾度もの打ち合わせ、下見、場所の決定、関係各所への連絡、客席数の決定など多くのプロセスを経て実現される。東京都美術館での上演も、二年以上の準備期間を経て実現した。この間、さらなる関連企画として、ボランティアスタッフへのワークショップなど双方向の催しを実施し多層性のある企画となった。
上演は、ロビー階と呼ばれる地下一階部分の講堂前の小空間を利用して行われた。正面に階段があり、階段を上った右側のミュージアムショップ、さらに遠方に一階へと向かうらせん階段、手前のエレベーターまでも舞台装置として利用した。
左手はるか後方には実際の展示室があり、そこに本物のフェルメールが飾られている。
上演は、本当に素晴らしいものとなった。
私は、最後のリハーサルのあと、全スタッフに、「本物のフェルメールのおかげで『東京ノート』がもう一度よみがえった」と宣言した。それは、そこにいた全ての人々が共有した感覚だった。『真珠の耳飾りの少女』が見えているわけでも何でもない。それでも、その吸引力には目を見張るものがあった。演劇とは、場を共有する芸術なのだということを、私たちは再認識した。それとともに、美術館の最大の役割もまた、他者と場を共有することにあるのだとあらためて感じた。「共に観る」という体験が私たちにもたらす豊穣さを、『東京ノート』東京都美術館公演は、たしかに私たちにもたらしたのだった。