写真:浅生 ハルミン

浅生 ハルミン イラストレーター

profile
1966年三重県生まれ。イラストレーター、エッセイスト。主な著書に、『猫の目散歩』(筑摩書房/中公文庫)、『三時のわたし』(本の雑誌社)、『キッキとトーちゃん ふねをつくる』(芸術新聞社)など。なかでも、『私は猫ストーカー』(洋泉社/中公文庫より完全版刊行)は、2009年に映画化された。人気シリーズ「猫のパラパラブックス」も話題となり、第7弾『猫のプロポーズ』(青幻舎)刊行ほか多数。
[撮影/ただ(ゆかい)]

パンダとアンデパンダン

 十九歳から東京に住んで三十年経つ。神田神保町にある私塾「美学校」の赤瀬川原平さんの教室に入りたくて上京した。ところが教室は、私が上京の準備をし始めたと同時に終了することになった。でも突っ走る気持ちが止められなくて、宇宙空間にはじきだされた小石のように、ひとり出てきてしまった。

 東京都美術館は、赤瀬川さんらが組織していた前衛芸術家集団「ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ」が、一九六〇年代に作品を出品していた読売アンデパンダン展の会場でもある。私が東京都美術館を初めて知ったのも、赤瀬川さんの本を読んだことがきっかけだ。なんて型破りなかっこいい展覧会なんだろうと思った。一九六三年をもって読売アンデパンダン展は終了。その当時に行ってみたかった。もう少し早く生まれていたらよかったなあ。

 

 上京して間もなくの頃、故郷の友だちが私の様子を見にやってきた。東京都美術館で開かれていたジョナサン・ボロフスキー展を二人で観に行った。ボロフスキーの作品は背いたかのっぽの黒い鉄の彫刻。海苔をはさみでざくざく切って素朴な人のかたちにしたみたいに平べったい。背が高いあまり、天井に頭がつっかえないように首を前に傾けて遠慮がちに佇んでいる、静かな人のようだった。哀しくてもの静かだけど力強い彫刻。

 友だちが東京から去って行くとき、帰らないで、と私は素直に言えずに、「世話の焼ける人が帰ってくれて、せいせいする!」と言ってしまった。友だちは、大丈夫か、と言ってメロンジュースを奢ってくれた。美術館を包む新緑が、やたらときらきらしてしていた。いつもひまだった。

 

 二〇一二年に東京都美術館がリニューアルされた。それに合わせて『東京都美術館ものがたり』という本がつくられた。中に私のイラストレーションや地図が使われている。描く内容を担当者と編集者とデザイナーの方たちと相談しながら考えていくうち、親しみを感じてもらえるような動物を登場させる案が浮上した。やはり上野にふさわしいパンダにしましょう、ということで、美術館の案内役のキャラクターに女の子とパンダを描いた。

 パンダの図案は東京都美術館の記念スタンプにも使われることになって、今も美術館のロビー階の片隅、公衆電話の隣りに置かれている。美術館周辺地図の横に専用の欄を設けて、そこに押せるようになっている。私の描いた図案が、自分が生まれる前からずっとある有名な場所の記念スタンプになるなどと、夢にも思っていなかった。

 

 このあいだの日曜日、誰か押しにきてくれていますようにと、祈る気持ちで様子を観に行った。二十代くらいの若者が前屈みになってスタンプ台に体重をかけているのが見えた。押したばかりでまだインクが乾かない状態の紙を、お盆のように両手に載せて、ゆっくりゆっくり、大事そうに運んでいった。よかった

 赤くて丸いのはパンダ、緑色で四角いのは西郷さんとパンダ。どうぞみなさんお土産に、地図や手帳に押して帰ってください。パンダの名前は「アンデパンダ君」と呼んでいます。

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