写真:平野 啓一郎

平野 啓一郎 作家

profile
1975年、愛知県蒲郡市に生まれる。1999年、京都大学法学部在学中に執筆した『日蝕』で第120回芥川賞を受賞。以後、数々の作品を発表し、現在に至る。美術、音楽にも造詣が深く、幅広いジャンルで評論を執筆。最新作は『マチネの終わりに』(毎日新聞出版、2016年)。2004年、文化庁から文化交流使に任命され、パリに一年間滞在した。芸術選奨文部科学大臣新人賞(2009年)、芸術文化勲章シュヴァリエ(2014年)などの受賞歴がある。

個人的にも特別な場所

 味わい深い〈ゴッホとゴーギャン展〉を見終えたばかりの余韻に浸りつつ、筆を執っています。

 東京都美術館が開館して今年で90年。節目というならば、100周年を前にして、これからの10年を考えるタイミングですが、それ以上の意味を感じるのは、人間の年齢と類比されるからかもしれません。私のかなり近い関係の親類や知人にも、90歳前後という年齢の人が何人かいます。

 当美術館の前身である東京府美術館は、日本で最初の公立美術館でしたから、この90年という歴史は、さながら日本の美術館の歴史そのものでもあります。それが、人一人の一生分に収まるというのは、私たちに不思議な現実感をもたらします。たとえば私の祖母は97歳でまだ健在ですが、彼女が7歳になるまで、日本には美術館そのものがなかったわけです。

 

 急に身内の話をしましたが、東京都美術館については、北九州の家族や親類の間で、昔からよく話題に上っていました。というのも、東京府美術館の建設費用として100万円(現在の約33億円)を寄付した福岡県若松市(現北九州市若松区)の実業家佐藤慶太郎という人物は、私の母方の親類だからです。彼の父の兄が、私の祖父の祖父に当たる人で、血のつながりという意味では、私とは随分と遠いですが、生家が狭い道路を挟んで向かいにあり、幼時に父を亡くした祖父は折に触れて世話になったようです。子供の頃、私にも時々その思い出を語っていました。90年という年月が、人の年齢に自然と重ねられるのは、そんなわけです。

 

 カーネギーの伝記に感動し、「富んだまま死ぬのは不名誉なことだ」という彼の言葉をそのまま座右の銘として、石炭商として築いた莫大な財産のほとんどを寄付と慈善事業に捧げた佐藤については、斉藤泰嘉氏の『佐藤慶太郎伝: 東京府美術館を建てた石炭の神様』(石風社)に詳しいですが、私の中には偉人としての彼と、家族に「慶太郎さん」と呼ばれていた人とが、今も同居しています。そして、ここ東京都美術館も、私にとっては、一美術ファンとして、上京以来、折々足を運んできた場所であるのと同時に「慶太郎さん」に縁の場所でもあります。

 

 現在の建物は、1975年に開館していますが、これがまた、偶然にも私の生年であり、つまりは同い年です。そう考えると、歴史があるというより、まだまだ若い、がんばれ!と言いたくなります。

 近年見た展覧会の中では、バルテュス展が殊に鮮烈でした。そのマティエールの圧倒的な深みは、西洋美術と油絵の具との関係の身体的で且つ、形而上学的な必然性を、つくづく感じさせるものでした。それは、日本人にとって西洋美術とは何かという問いの嚆矢であったこの美術館にこそ相応しい体験であったように思います。

 今後のますますの発展を期待してやみません。

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