写真:澤田 瞳子

澤田 瞳子 小説家

profile
1977年、京都府生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業、同大学院博士課程前期修了。時代小説のアンソロジー編纂などを行い、2010年、『孤鷹の天』(徳間書店)で小説家デビュー。11年、同作で第 17回中山義秀文学賞を最年少受賞。12年、『満つる月の如し 仏師・定朝』(徳間書店)で第2回本屋が選ぶ時代小説大賞、13年、第32回新田次郎文学賞受賞。15年、『若冲』(文藝春秋)が第153回直木賞候補に選ばれる。著書に『日輪の賦』(幻冬舎)、『泣くな道真』(集英社)、『与楽の飯』(光文社)、エッセイ『京都はんなり暮し』(徳間書店)ほか。

新たな世界との邂逅を与えてくれた、大いなる扉

 私が始めて東京都美術館を訪れた日のことは、今でもよく覚えている。二〇〇〇年の九月、NHK放送七十五周年事業として開催された世界四大文明展の一つ、「インダス文明展」を観覧するためであった。

 当時、私は大学院生。都内及び横浜で行われた全四展示はもちろん、その他都内の様々な美術館を回るため、四泊五日の予定で都内の民宿に滞在していた。初めての都内の博物館めぐりに、私はひどく高揚した気分でスケジュールをこなし、滞在最終日、帰路に着く直前に、上野界隈の美術館を回ったのである。

 さすがに疲れていたのだろう。東京国立博物館を足早に回り、東京都美術館の半地下の入り口をくぐったとき、私はふと奇妙な感覚を覚えた。そして周囲をぐるりと見回し、この美術館は自分がよく知る他の美術館と違う、と思った。

 

 広いエントランスフロアはそこここに看板が立ち、自分が目指すインダス文明展よりも、なぜか他の展示のほうが目立っている。全体の構造がすぐには見渡せぬ館内のその構造が、未知の迷宮のように感じられたのである。

 歴史を学び、日本美術に親しんで育った私は、近代アートにはまったくといっていいほど馴染みがない。まだ絵画はかろうじて見ることがあるが、立体造形などは、人に熱心に誘われてもなかなか食指が動かないほどだ。

 しかしなぜだろう。私はそのとき、帰りの時間が迫っているにもかかわらず、同時開催されているすべての展示を覗かずにはいられなかった。そして自分では絶対行かないであろう書や彫塑の展示までを隈なく眺め、大急ぎで上野駅へと走ったのだ。

 

 それ以来、私は今でも、東京都美術館を訪れると、目的の展覧会以外の展示室にも立ち寄らずにはいられない。普段、他の美術館ではこんなことはしないのに、なぜかすべての部屋を見ないと気が済まないのだ。

 今年の初夏、東京都美術館では「生誕300年記念 若冲展」が開催され、四十万人以上の来館者を記録した。しかし会期中、色鮮やかな若冲作品に目を凝らしながらも、私は頭の隅で、「隣で開催されている公募団体ベストセレクションってどんな展示だろう?」と考えていた。そして芋の子を洗うが如き若冲展の雑踏から抜け出すと、不思議に冴え冴えとした気分で、「公募団体ベストセレクション 美術 2016」展を観覧した。

 

 館内で幾つもの展示を行う館は、決して珍しくはない。しかしブロックのように連続した各展示室を巡るとき、我々はまだ見ぬアートの迷宮がそこに広がっているような幻惑を覚える。

 「何かを見る」ために展覧会に行くことはたやすい。しかしこの美術館では、思いもかけなかった「何かに出会う」ことが出来る。それは自分がこれまで気付かなかったアートの世界への入り口であり、未知に向かう第一歩だ。

 十数年前の晩夏、緑の色濃き木立をくぐって訪れたあの美術館。それは私に新たな世界との邂逅を与えてくれた、大いなる扉なのである。

私の都美ものがたり 戻る